12月12日(月)第3回米山ゼミ

第3回米山ゼミ

「カセントが考える食との関わり方」
講師/福本伸也氏(カセント)


「ミシュラン京都・大阪・神戸2011」で三ツ星を獲得し、日本で最も注目されているシェフのひとりとなった「カセント」の福本シェフ。しかし中学時代は、勉強嫌いでケンカが絶えず、担任の先生から「高校を紹介する気もないし、就職も難しい」とサジを投げられる問題児だったとか。
そんな福本さんが唯一好きだったのが料理だった。「母子家庭のうえ、少し障害を持つ兄がいたので、小さい頃から家事を手伝っていたのです」。そこで中学を卒業した15歳のとき、六甲にある小さな洋食屋で働き始めたが、1年後には「阪神・淡路大震災」で店が全壊してしまう。神戸で再就職できる店がみつからず、大阪に移ってスペイン料理、イタリア料理、ホテルなどジャンルを問わず色々な店で働いて経験を積んだ後、イタリアへ。
米山シェフとの対談で明かされた海外修業での苦労話は、華々しいスポットライトを浴びる現在の福本シェフの姿からは、想像もつかない内容だった。


就職も進学もムリと言われて料理の道へ

米山:20歳でイタリアへ行こうと思ったきっかけというか、何か後押しがあったのですか?
福本:憧れはありましたね。海外のシェフの下で働いていたこともあり、将来的には海外で働きたいと思いました。それに日本の料理界は年功序列の世界です。15歳から始めて何年か続けていても、仕事と言えば、もっぱら「葉っぱ掃除」や洗い物ばかり。後から高卒・大卒の人が入ってきても、やはり私が一番下っ端のままでした。
米山:海外の中でも、なぜイタリアを選んだのですか?
福本:イタリアのファッションが好きでしたし、サッカーも好きでした。それにも増してイタリア料理が好きだったからです。「海外に行ったらもっと料理が学べる」と思っていました。
米山:なるほど! 前を向く気持ちが大きかったということですね。

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知人の紹介でイタリア中部のレストランに入店した福本さん。しかし、海外で働くためには『滞在許可証』が必要であることを知らず、なんとかビザなしで1年間ほど滞在。一時帰国して手続きをやり直した後、あらためてナポリの三ッ星レストランで働き始めた。
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差別や言葉の壁を痛感した海外修業

米山:今度は、少しランクの良いお店に行けましたか?
福本:はい。「ナポリの3ツ星(当時)」に行きました。そこで、生まれて初めて挫折というものを感じました。
米山:それは、料理人としてのレベル的な問題ですか?
福本:レベル的・・・・・・には、頑張ればある程度のことまでは出来たつもりですが、問題だったのが差別です。ご飯がなかったり服がなくなっていたり、そんなトラブルが毎日あって、料理を覚える以前に解決しなければなりませんでした。アジア人というのは一番差別を受けやすい人種だったのです。さらに、私という個人に対しての差別もあったと思います。
米山:その後は、どうされたのですか?
福本:ミラノの二ツ星レストラン「サドレル」へ移りました。ナポリのときは、「三ッ星」への憧れだけで行きましたが、今度は料理の本を見て「このシェフのもとで学びたい」と思って志願したんです。まったく伝手がなかったので、イタリア語で手紙を書き、「働きたい!」という情熱を伝えました。
米山:そこでは、どんなことを学びましたか? また、物価が高い街だと聞きますが、生活はどうでしたか?
福本:毎日が私に元気を与えてくれていれるような感じでした。厳しさもありましたが差別はなく、ちゃんと私を見てくれました。部屋もありましたし、お給料も普通に生活するには十分な額でしたよ。この店に2年間、イタリアに4年間いましたから、自慢できるほどではないですが、言葉も普通に話せるようになりました。
でも、24歳の時に他の国も見てみたいと思い、欧米の色々な国のレストランに手紙を送りました。返事が来たのは、フランスの「ベルナール・ロワゾー」とスペインの「ムガリッツ」の2軒。とくに「ムガリッツ」はシェフも若かったし、料理もシンプル・ナチュラルで惹かれるものがありました。無給で一年間滞在せよという条件でしたが、スペインという勢いのある場所でもう一度学びたいと思い、行くことにしました。
米山:給料なしでどのように生活していたのですか?
福本:山の奥にある店なので、お金を使う場所もないんですよ。部屋はあるし、働いているところでまかないも出るので、生活費は月に100円程度。毎日が料理づけといった感じです。


“イケイケ”のスペインで学んだこと

米山:スペインは、当時も今も料理界をけん引しているところだと思います。昔からある地方の料理を出す店もあるし、最先端のマルシェもあります。「ムガリッツ」はどちらのタイプでしたか?
福本:盛り付けなどの技術は最先端だったと思いますが、味はピュア。
難しいですよね・・・・・・最先端の料理って。基本的にあまり好きではありません。でも、好き嫌いとは別に、そういったことも学んでこそ一人前の料理人だと思います。
米山:私が福本シェフの料理を食べたときは、「最先端」ではなく「料理をしている感」を感じました。ただ表現方法はさすがに地中海系と言いますか、フランス料理とは違うなと思いました。
福本:当時のスペインは“イケイケ”だったので、誰かが新しいものを発見したら次は僕が発見するといった感じで、次から次へと新しいもの生まれてくるような時代でした。今はだいぶ落ち着いたと思いますが。
米山:スペインには、何年いたんですか?
福本:全部で4年間です。バレンシアにある一ツ星レストラン「カ・セント」のシェフ・ラウールが「ムガリッツ」に勉強に来ていて、店を辞めると話したらウチに来いと誘ってくれたんです。
ところが、当時のバレンシアは、都会に比べまだまだ遅れていて、お客様から「虫を食べるような奴が作った料理は食べない」と言われてカチンと来てしまい、ラウールと彼のお父さん(セント)とケンカになって、わずか1ヶ月で厨房から追い出されてしまいました。
ことの顛末を話して「ムガリッツ」に戻ったのですが、とある料理の競技会で、ラウール親子と8か月ぶりに再会。ラウールの方から「ごめん悪かった、戻っておいで」と言われて、1ヵ月後に「カ・セント」に戻ってみると、朝の8時くらいからみんなそろって掃除をしているんです。見ると、まな板の上には私の包丁、コック帽と手紙があって、「お帰り」と迎えられました。住む家や滞在許可証も全部用意してくれていたんです。
米山:ムッシュたちが、そこまでしてくれたのはナゼだと思いますが?
福本:多分、本気でぶつかっていったから、私を理解してもらえたのだと思います。ミラノでも、ナポリでも、本気でぶつかったのは同じでしたが、受け入れてもらえなかった。その違いだと思います。
米山:スペインの「カ・セント」で学んだ一番大きいことは何でしょうか?
福本:今振り返ると、いつも「がんばろう」と思わせてくれる場所であったと思います。料理ははっきり言って普通と言うか・・・・・・本当に簡単なレシピを出すお店です。でもその中で感性を超えていく料理を出す店でした。そういう料理の表現の仕方は本当に難しいのですが。
米山:イタリアの4年間と、スペインの4年間というのは違うものなのですか?
福本:全然違います。イタリア人はプライドが高い。フランス人はもっとプライドが高いと思いますが、スペイン人は人間らしい。一緒に働きたいのはスペイン人ですね。
米山:では、スペインでの修業には納得したうえで帰国したのですか?
福本:私が27歳の時に、創業者のセントから息子のラウールへ代替わりをすることになり、お店を全部改装しました。セントは「ラウールと一緒に店を経営していくように」と言ってくれて、厨房は私の設計でやり替えました。
できれば、ずっと「カ・セント」にいたいと思っていたのですが、ちょうどその頃に日本に残してきた母が、24時間介護が必要な難病であると宣告されました。兄も障害を持っていますので、私が面倒をみるしか選択肢はありませんでした。

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帰国して1年ほどは家族の介護と看病に明け暮れる毎日。筋肉が抜けていく難病を患った母親は、普通の食事が摂れなくなり、ピューレ状にしたものをチューブで胃に直接入れるようになっていたが、福本さんが作った料理に対して、「おいしい」と言っていた。味覚はないはずなのに・・・・・・。
「料理を作る料理人として、ただのコピーをしていくことも勉強だが、自分の料理を作っていこうと思ったら、その人が学び見てきた人生が料理に現れると思います。それが自分にしかないレシピとなっていくと思います」(福本さん)。
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好きじゃなかった神戸での開業

米山:帰国後、県庁前の「カセント」オープンするまでの経緯を聞かせてください。
福本:近畿エリア、できれば大阪に出店していと思っていたのですが物件がみつからず、先輩の紹介で今の場所を紹介してもらいました。
実は、オープン当時のオーナーとは、料理や経営方法を巡ってズレが大きくなってきて、一旦店を閉めたんです。その後にワインショップ「ジェロボアム」の安藤博文さんと出会い、今の「カセント」が生まれました。私には経営のセンスがないので、安藤さんに料理に全力を注げる場所を用意してもらっています。経営者と料理人との両立は本当に難しいと思いますね。
米山:コンセプトやスタイルは最初から決めていたのですか?
福本:明確なコンセプトというのは私の中にはなくて、営業しながら築いていっているものだと思います。ただ、シンプルな料理をつくること、その日に仕込んだものをその日に使い切り、お客様にはすべてフレッシュなものを提供するといったことは、最初から考えていましたね。
米山:レストランスタイルのお店で非日常の空間を演出するにあたって気をつけている点はありますか? スペインの「カ・セント」の雰囲気は意識しているのでしょうか?
福本:サービス対して、「こういう風にしたい」とか、特別な演出を考えているわけでもありませんが、そういった雰囲気を生み出せるのはスタッフのがんばりから生まれた感性や、みんなの力だったりすると思います。毎日の積み重ねだと思います。
米山:それだけであの空気が出来るのですか?
私はパン屋なので、日々の暮らしにどう入っていくのかを考えています。それに対して、非日常と言われているレストランの世界では、もっとサービスについてテクニック的なことまで細かく要求をするのかな? と思ったのですが・・・・・。
福本:私はサービスマンに“すごいこと”は求めていません。
水がなかったら足す、来ていただいたお客様にはいらっしゃいませ、ありがとうございましたとお声がけする、席を立たれたらイスを引くであるといった、本当に基本的で小さなことです。それが、大事だと思いますし、逆にそれがないレストランが多い。先々のことばかり考えていると思います。料理も同じで新しいものばかり追い求めている風潮もあるのではないでしょうか。
米山:では、食材選びの基準など、なぜこれを使うという理由はあるのでしょうか?
福本:食材は基本的には生産者の顔が見えるものを使用しています。
といっても「どこどこの誰々さんが作った。だからおいしいです」というのはあまり興味がありません。まず私が採れた畑や牧場などを見て、作り手と会い、その人を伝えることが私の仕事の一つだと思っています。
米山:例えば弓削牧場のホエーであるとか、自分からこの食材がほしいと選びに行くときもあるのでしょうか? あるいは、例えばれんこんがほしいから、調べて実際に見に行って選ぶとか。
福本:あります、あります。
米山:私がそうなんですが、わざわざこの食材がほしいからわざわざ遠くから引っ張ってくるというよりも、人との繋がりの中から食材を選ばれているのかなぁという印象を受けました。
福本:そのことが一番大事だと思います。
高価=美味しいというわけでもありませんし、安いトマトだからいい加減に扱うといった気持では料理をしたくありません。最高級のトマトより少し安いかもしれないトマトでも、生産者の顔が見えるように、それも味だと思うのでそういう気持ちを持って料理をしたいと思っています。
米山:料理の中にチャレンジを入れることはありますか? 自分の中の枠を広げようとしたことはありますか?
福本:新しいお客さんに対してチャレンジする度胸は、まだありません。(予約が混んでいるため)2ヶ月待って食べていただくからには、お客様には楽しんでもらいたいですので、日々の中で積み上げてきたものを楽しんでもらいたい。おいしさの中に安心感がないとダメでしょう。
もちろん、季節が変われば食材が旬のものに変わりますし、コースの強弱のつけ方など表現の仕方はかわるは思いますが、基本の部分は崩しません。
米山:スペインの最先端の料理に触れ、最先端の技法もご存知でしょうが、新しいことを表現していくというよりも自分が持っているおいしさの中の表現をしていくという感覚の方が大きいんですね。
福本:そうです。最先端なことをし続けていくだけの才能があればいいのですが、私にはないと思いますし、40、50、60歳になってもずっと続けていける料理ということを頭に置いて、日々積み重ねています。


ミシュラン“三ッ星”獲得の是非

米山:皆さんもご存知の通り、福本さんのお店はミシュラン神戸で「三ッ星」の評価を受けましたが、以前からミシュランを意識していましたか?
福本:全く意識をしていませんでした。ウソに聞こえるかもしれませんが、別にミシュランを目指していたわけでもありません。
米山:でも、ヨーロッパで修行先を選ぶ際、ある程度「星」は基準にしていましたよね。
福本:そうですね。でも、自分が店を開くときには、全く考えなかったです。
電話がかかってきた日は、「私には無理だ」と思いました。ただ、ミシュランが神戸に来てくれたことは、すごく良かったと思います。
米山:ミシュランを取ることによって、「カセント」を知らなかった人が遠方から訪れる流れはありがたいことだと思いますが、ミシュランの評価がなくても予約の取りにくい大人気の店だったわけですから、ちょっと迷惑ではありませんでしたか?
福本:一人の“料理人”としては、非常に名誉なことだと思います。が、一人の“人間”としては、まだまだだと思います。星をいただいたから自由にしていいいうこともありませんので、スタンスは変わっていませんし、やりたいことも変わりません。受賞より大事なことに気づきながらやっていくべきだと思っています。
米山:三ツ星シェフがコンビニからカップラーメンをぶら下げて出てきてはダメだということもありますよね。
福本:米山さんの師匠でもある西川(功晃)さんから、「コンビニ行ったら安いものを選ばずにハーゲンダッツのように高いものを選ぶんだよ」と、冗談で言われましたよ。
米山:周りは変わるわけですよね。色んな人との出会いもありますし。変に踊らされると自分のスタンスがなくなってしまうのではとも懸念しますが、私が見る限り、福本さんは全く変わっていないように思います。これからも同じですか?
福本:そうですね。私を支えてくれた人、新しいお客様、応援してくれる方々を大事にしたいと思います。もし私が変わってしまったら、そういった大事にしてきたものかわってしまうと思います。
だから、ミシュランのことは、ゼロは無理でもできるだけ意識しないようにと思っていました。でも、受賞した直後の1ヶ月は、ほんとに濃いお客様ばかりが来店されて、世界中から私の料理に対してアラ探しをされている気持ちになり、さすがブレそうになりましたね。
米山:ちゃんと評価に見合うものを出そうとして一点に集中しすぎると、わからなくなる場合もありますよね。ミシュランは気にしないようにしていたとのことですが、「食べログ」のよう口コミサイトは気にしますか?
福本:基本的に気にするタイプなので、毎日家に帰ったら自分の評価が書かれているネット情報をすべて見ます。全部丸のみはしませんが、食べログなど色々な方の意見からどういうことを感じ思っているのかを知ってスタッフのみんなに伝えます。まかないを食べるときや仕事をしながら、軽く注意を促す感じで言う程度です。
米山:今スタッフは何名いらっしゃるのですか・
福本:厨房は4人。表は3人です。
私の人生は「カセント」にあるけれど、彼女たちの人生で「カセント」がすべてではない。もっと自由に生きてほしいし、辞めたくなったらやめたらいいと伝えています。
米山:2号店出店など、今後のご計画はありますか?
福本:3~4年後には、神戸で今の場所から移転するのか、もしくは海外への移住を考えています。具体的にはフランス。フランスでもう一度勝負をしてみたいです。
実は若い頃は、神戸があまり好きではありませんでした。東京や海外しか見えていませんでしたからね。でも住めば都と言うとおり、今は神戸でお店をやってよかったと思います。ただ、まだ33歳なので、一軒家の1階にお店をつくりたいとか、海外でもう一度勝負をしてみたいという夢があるんです。
ずっと料理をしていたい。できれば厨房の中で生涯を終えたいです。
米山:いやぁ、完全に料理人なのですね(笑)。
貴重なお話をありがとうございました。

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「カセント」の料理は本場のスペイン料理そのままではなく、スペインの香りを残した福本さんのオリジナル料理である。アミューズ(前菜)を2つ、その後にタパスの盛り合わせ、前菜をもう一度はさみ、定番のお野菜、魚料理、肉料理と続き最後に「おじや」がくるというコースの流れが、他店との最大の違いだ。
メニューを発想するコツは、「新しい料理を作りたいということではなく、自分のマイナスなところをたくさん見つけて、新しい発想、料理へ繋げていき今作っている料理を完成させていくこと」と言う福本さん。“失敗からの発想”と料理への情熱が、ミシュラン三ッ星という栄誉を呼び寄せた。
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最後に・・・福本さんが思う「神戸」とは?

神戸は保守的な街であると思います。おいしいフランス料理があって北野坂があって、華やかさだけではなく、落ち着きもたたえた街。でも、その中で料理人やデザイナーが表には出にくい面もあったのではないかと思います。私が恵まれていたのは、表に出してくれる人がいたということ。「ミシュラン」もそのひとつですね。
料理人として神戸の食材に目を向けてみると、たとえば「神戸ビーフ」は有名ですが、そんなにおいしいかと言われると……。むしろ、お魚は誇れると思います。明石、淡路など良港がある。また、野菜も、篠山など素晴らしい産地があります。
だから今、神戸という街を若い料理人が盛り上げていかねばと思います。今のうちに盛り上げないと、また普通の食文化に戻ってしまう。今こそ、色々なことが表現できるチャンスのときだと思いますよ!


「カセント」ウェブサイト
http://casento.jp/about.html